関川夏央の短篇小説集 水の中の八月
今週のお題「プレゼントしたい本」。本か〜、個人的には読書量はそれほど多いとはいえないのだが、ん?、ちょっと待てよ、だ。どちらかといえば映像を見ることが多いのは私だけではないだろう。実は映像には必ず脚本や原作が存在する。
基本的に小説を本だ後に映画化されることは少なく、映像作品を見てから原作に当たる、ことが私の場合はほとんどなのだが、改めて比べるととても興味深い。
青春物語を水泳部の主人公と取り巻く群像劇の中でラブストーリーを絡めながら描き出すのだが。ハイビジョン作品ということもあり、映像の美しさや写真としての構図の決め方など、一言でいえば「渋い」作りだ。全編を通じて紡ぎ出される等身大の青春のイメージを切り取っていると感じた。舞台が木更津というのも好みだ。でも田舎の学生の群像劇は見方によれば、退屈だと感じる人もいるかもしれないが。このゆったりした空気感がはまると心地い。夏をゆっくりと反芻するにはもってこいの映画だ。
DVD化されていのは残念だ。
同名の映画がある。が、こちらは監督のオリジナルらしい。ただ、夏、青春、のキーワードは共通しているし地方都市を舞台にしていることもあり、一瞬同原作かと思ったが違った。
監督の故郷、博多で前編ロケということもあり、思い入れや、情感の入れ方は、こちらの方が強い。やはりこれは、好みの問題なのだ。私も九州の雰囲気は好きなので、はまればこっちだろう。かなりサイケなファンタジー作品になっている。
どちらも新人やらベテラン俳優まで幅広く、見応えあるのだが、どちらかというとTVのキャストが個人的に好みだったというのが大きい。
TV版は小説との順応度(とりあえずそう呼ぶ)は高いと独断したが、この順応度はくせものだ。出来るだけ丁寧に「言葉による文芸術である小説」を表現するのか、「映像芸術」としての最適解を目指すのか、だ。だって言葉を映像に置き換えるのだから、台詞とプロット(ストーリー展開)は追従できても、映像にした瞬間、その情報量は圧倒的に映像=活動写真に凌駕されてしまう。情報量が違い過ぎるのだ。
しかも、正解がない。と言うよりも、後から評価されるのだから始末が悪い。結果オーライなのかけちょんけちょんなのかは聴衆と歴史(一定の時間と言う意味で)で評価される。直後の評価はマスコミの操作を排除することは難しいからだ。
だから時間によるフィルタリングは重要だ。幸いなことに、ネットの発達によってマスコミ操作はどんどん薄められつつある。直接評価を世間に呈することが出来るから、投資サイドに操られたマスコミがいいように操作してきた時代はすでに過去の物だ。
しかも、正解がない。と言うよりも、後から評価されるのだから始末が悪い。結果オーライなのかけちょんけちょんなのかは聴衆と歴史(一定の時間と言う意味で)で評価される。直後の評価はマスコミの操作を排除することは難しいからだ。
だから時間によるフィルタリングは重要だ。幸いなことに、ネットの発達によってマスコミ操作はどんどん薄められつつある。直接評価を世間に呈することが出来るから、投資サイドに操られたマスコミがいいように操作してきた時代はすでに過去の物だ。
と話を戻すと、夏をテーマにした映画は数あれど、結構見直すことの多い映像作品なだけに、見た後に原作を読み返すと、行間の膨らみが、映像なしとはぜんぜん違う。
そういう楽しみ方のできる小説だと思う。お勧めします。
残念ながらTVドラマの方はDVD化されていないようです。※私もTVで見た以降はレンタルのVHSビデオで見ました。