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Consideration of an office worker living in Tokyo

小説「蒲団」田山花袋、を久しぶりに読んでみた

いや、これかよ、って思うにちがいない。しかしこれは、れっきとした変態・純愛・私小説だ。文学史的には自然主義と呼ばれるんだけど、フランスに始まると言われる自然主義は客観的な描写が特徴なのに、日本では私事を赤裸々に暴露することになってしまい、なんだかな〜って感じだ。でも、日本の文学史的には蒲団が自然主義の方向を決定付けたってことらしい。個人的にはシンプルに「私小説」というカテゴリーがしっくりくるんだけど。やっぱり「暴露」と客観的描写は今ひとつしっくりこない。
 
この私小説、どこまで本当かは置いておいて、ある程度本当だとすれば、すごい暴露っぷりだ。
何でまた私の中学時代の国語教師はこの小説を学生に紹介したのだろう。疑問はつきないが、名作であることには変わりない。
 
かいつまんで言えば、40手前の小説家が20代の教え子に恋い焦がれてしまい、教え子の蒲団に顔を埋(うず)めて絶叫する小説だ。
 
今の感覚だと、そこそこのスキャンダルなのだが、れっきとした純文学だ。そういうのが流行った時期なのだ。そう、昭和はとても動物的というか、人間的です。まだ人間の野生が残っていたように思う。自分の色恋沙汰をてらいもなく私小説として本に出来たのだ。スキャンダルもくそもない。(記者)「不倫なんで不謹慎じゃないですか?」(小説家)「で?」「それがどうした?」である。ほんと、マジですか?だけど。しかし一般人が真似すると、それはダメ〜、となるだろう。まだ不倫の意味も女も知らない中学生が、なんだかわからないけど小説家ってすごいな〜と思ったものだ。

せっかくなので、久~しぶりに読み直してみたら、まじですごい。大人になってから読むと、全然違うおもしろさがある。
ある程度時間をおいて読み返すと、明らかに受け取り方が違う。そのギャップの分だけ自分が変わったということだろう。
導入はこんな感じだ、
 
「数多い感情ずくめの手紙・・・二人の関係はどうしても尋常ではなかった。妻があり、子があり、世間があり、師弟の関係があればこそ敢えて烈しい恋には落ちなかったが、語り合う胸の轟、相見える目の光、その底には確かに凄まじい嵐が潜んでいたのである。機会に遭遇(でっくわ)しさえすれば、その底の底の暴風はたちまち勢いを得て、、、、」(本文より引用)
 
おいおい、おーい。だろう。
まだまだ序の口。
 
ここからさきは是非読んで確認してほしい。とにかくぶっ飛んでいる。
 
しつこいようだけど、やっぱりこれを自然主義文学って言われてもピンとこない。
秋霖の季節に読むには、ウエットすぎるかもしれませんね。
 

 

蒲団

蒲団